biography

FLOWER TRAVELLIN' BAND FLOWER TRAVELLIN' BAND

1970年初頭、国内で暗中模索を続ける私たち日本のロックの創世の時、まったく違う地平を切り開こうと海を渡ったバンドがいた。それがフラワートラヴェリンバンド、通称F.T.B.。

1970年 内田裕也プロデュースにより、フラワートラヴェリンバンド誕生。アルバム「ANYWHERE」発表。同年開催された大阪万博のライブステージで競演したカナダのロックバンド、ライトハウスに誘われ、12月カナダ トロントへ出国。

1971年 世界最大の音楽市場を抱える、アメリカのアトランティックレコードと契約。アルバム「SATORI」をアメリカ、カナダで発表。東洋的旋律を持つ日本のオリジナルロックが始めて世界のロックカルチャーに名乗りを上げた歴史的瞬間。シングル「SATORI part2」がカナダのチャート8位まで駆け上る。ライトハウス、ブルース・プロジェクト、EL&P、ドクター・ジョンなど、ミュージシャンと競演。

1972年 アルバム「MADE IN JAPAN」発表。 東京都立体育館フラワートラヴェリンバンド帰国記念コンサート

1973年 競演を予定していたローリングストーンズの来日が中止。
アルバム「MAKE UP」発表。京都円山公園音楽堂でのコンサート後、活動停止。

2008年 30数年の時を経て、待望の活動再開。国内外のロックシーンの期待が高まる。

member

  • GEORGE WADADRUMS
    GEORGE WADA
  • NOBUHIKO SHINOHARAKEYBOARD
    NOBUHIKO SHINOHARA
    NOBUHIKO SHINOHARA
  • HIDEKI ISHIMASITARLA
    HIDEKI ISHIMA
    HIDEKI ISHIMA
  • JOE YAMANAKAVOCALS
    JOE YAMANAKA
    JOE YAMANAKA
  • JUN KOBAYASHIBASS
    JUN KOBAYASHI

history

1970

2月
内田裕也とザ・フラワーズを母体に、元フォー・ナイン・エースのジョー山中 (当時の名義は "ジョー" / vo) 元ビーバーズの石間秀機 (当時の表記は "秀樹" / g)、元タックスマンの小林ジュン (当時は "上月ジュン" / b)、フラワーズのドラマーだった和田ジョージ (dr) によって結成。当初は、内田裕也もメンバーとしてステージに立ち、司会やパッキング・ヴォーカル、タンバリンを担当していたが、その後プロデュースに専念するようになる。
4月1日
東京・共立講堂で開催されたロック・イベント 『第三世界のヘッド・ロック』 に於いて、 <フラワー・トラヴェリン・バンド> の名で正式デビュー。頭脳警察、モップス、ゴールデンカップス他と競演。
5月3日
『第41回日劇ウエスタンカーニバル』 出演。ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ロック・パイロット、ザ・テンプターズ他と競演。
5月5日、6日、9日、10日
東京・横浜で開催された 『第3回日本ロック・フェスティバル』 に出演。10日の日比谷野音でのステージでは、演奏中に日大全共闘のメンバーが乱入するトラブルが発生する (野音乱闘事件)。 モップス、ゴールデン・カップス、ハプニングス・フォーと競演。
5月
初シングルとなった日野皓正との共演盤 「クラッシュ / ドゥープ」 を、日本コロムビアよりリリース。
7月12日〜19日
大阪万博会場のお祭り広場で開催されたパフォーマンス・イベント 『ミニマル・サウンド・オブ・ライダー』 に出演。期間中に万博カナダ館のイベント出演のため来日していたライトハウスと親交を深め、これがカナダ遠征のきっかけとなる。
7月26日
富士急ハイランドで開催された 『ロック・イン・ハイランド』 に出演。頭脳警察、ブラインド・バード、モップス、ザ・エム他と競演。
8月25日〜27日
『第41回日劇ウエスタンカーニバル』 出演。ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ロック・パイロット、ザ・テンプターズ、ザ・ワイルド・ワンズ他と競演。
10月18日
カナダ遠征が決定し、東京・大手町サンケイホールで 『サヨナラ・コンサート』。休憩時間中の会場ロビーで、GAROがゲリラ的なデビュー・ライヴを敢行。
10月21日
1stアルバム 『ANYWHERE』 リリース。
11月2日〜26日
カナダ遠征の下交渉のため内田裕也が単独でトロント、ニューヨークへ。ニューヨークでは記者会見を行う。29日帰国。
12月1日
赤坂 『MUGEN』 で、送迎パーティー。
12月5日
17時羽田発の便でトロントに向かう。
12月
ジョー山中、石間秀機が参加した <クニ河内とかれのともだち> 名義のアルバム 『切狂言』 リリース。

1971

4月25日
2ndアルバム 『SATORI』、シングル 「SATORI Pt.1 / SATORI Pt.2」 リリース。 アメリカアトランティック・レコードとカナダGRTレコードでリリースされ、「SATORI Pt.2」 はトロントのローカル・チャートの第8位にランクされるヒットとなった。
6月
トロントのオンタリオ・プレイスを皮切りにスタートしたライトハウスの全国ツアーのオープニング・アクトとして同行。ツアー中、EL&P、ブルース・プロジェクト、チェイス等とも競演。
9月
シングル 「MAP」 (B面はジョー・ママの 「マシンガン・ケリー」 ) リリース。これは、アルバム 『切狂言』 収録曲 「人間主体の経営と工事」 の英語詩によるリメイク・ヴァージョンだった。

1972

1月
ライトハウスのキーボード奏者ポール・ホファートがプロデュースしたカナダ録音アルバム 『MADE IN JAPAN』 からの先行シングル・カット 「KAMIKAZE / HEAVEN AND HELL」 リリース。
2月10日
3rdアルバム 『MADE IN JAPAN』 リリース。
3月9日
1年余りのカナダ遠征を終えて帰国。
3月18日
東京都立体育館を皮切りに、 『帰国凱旋コンサート』 ツアーがスタートする。元ハプニングス・フォー+1のキーボード奏者・篠原信彦が参加。以後、活動を共にする。
4月22日
浦和埼玉会館で 『帰国凱旋コンサート』。頭脳警察、四人囃子、あんぜんBANDと競演。
9月16日
横須賀文化会館でコンサート。この日の模様はライヴ・レコーディングされた。

1973

1月
4thアルバム 『MAKE UP』 からの先行シングル・カット 「メイク・アップ / 失われた日々の影」 リリース。
2月25日
4thアルバム 『MAKE UP』 リリース。横須賀文化会館でのライヴ録音作品と、スタジオ録音 (at モーリ・スタジオ) 作品で構成された、F.T.B.初の2枚組アルバム。
4月1日
日比谷野音で開催された 『第2回ロックンロール・カーニバル』 に出演。キャロル、ファニー・カンパニー、ウォッカ・コリンズ他と競演。
4月
京都円山公園音楽堂でのコンサートを最後に、活動停止。

1975

10月
初のベスト・アルバム 『TIMES』 リリース。

1976

歌舞伎役者・市川門之助が出演した日立キドスコープのCMに 「メイク・アップ」 が起用され、話題を呼ぶ。

2008

1月
オリジナル・メンバー4人に篠原信彦を加えたラインナップで再始動。
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